昨年の秋に来日したシラク大統領の経団連におけるスピーチは実に感動的であった。フランスは、過去から続いてきた悪い習慣から脱するべく経済改革の努力を続けている。短期的には確かに痛みを伴うが、国家の百年の計を考えればどうしても今やらなくてはならないと切々と訴えた。講演後、経団連の樋口副会長から「大統領の情熱はよくわかった。でもフランス国民をどうやって説得されるのか」との質問があり、シラク大統領からは「正しいことは正しいことであり、国民が解ってくれるまで説得を繰り返すしかない」との趣旨で回答があった。
しかしフランス国民は解ってはくれなかったようだ。選挙民はシラク大統領が進める市場原理の導入を中心とする急進的な経済改革路線に明確な「ノン」を表明したのである。
欧州では伝統的に経済のグローバル化に伴う痛みの処理の仕方が、米国や日本と異なる。米国ではグローバル化の影の部分(痛み)は、国内の実質賃金の低下という形で勤労者が負担する。失業率はそれほど上昇しない。企業収益は改善する。一方、日本では、グローバル化が進行しても、失業率、実質賃金ともに安定している。痛みは企業収益の低下というかたちで企業が一手に引き受ける。そのかわり景気はなかなかよくならない。欧州では実質賃金は低下しないのは日本と同じだが失業率が急上昇する。グローバル化の痛みは失業者と失業保険(財政)が負担することになる。
変革期には米国方式が優れたやり方だと信じられている。しかし日本とか欧州のような「社会的」市場経済においては勤労者に負担をかける米国方式では、これまでの競争力の源泉であった社会構造そのものを壊してしまう危険性がある。少なくとも痛みを吸収するだけの拡大的な経済政策が必要となる。
今回のシラクの敗北は、決してワシントンポスト紙が書くようにフランス国民の「蒙昧さ」のせいではない。過去の選挙においてフランスの選挙民は驚くほど一貫して「雇用」と「成長」を支持してきた。シラクが負けたのは、むしろこのフランス国民の一貫性を軽視した英米型経済政策への反発のせいだ。
フランスばかりでなく欧州においては社会民主主義政党の政権奪取が続いている。経済グローバル化の光の部分のみならず、影の部分との対比が議論の焦点になりつつある。
そもそも、欧州の通貨統合を成功させるためには、通貨を強く維持しなければならない、そのためには緊縮財政が避けがたい、苦しいけれども我慢しようとの議論は、昭和の初期の日本で金本位制への復帰をめぐり展開された議論とよく似ている。時の大蔵大臣、井上準之助は、異常な使命感と情熱を持って、実勢レートを上回る旧平価での金本位制への復帰を主張し、円高誘導のためのデフレ政策の必要性を全国で説いてまわった。演説を聴いて感動したひとりのお婆さんが井上に向かってお賽銭を投げたとの話も残っている。しかし井上緊縮財政の結果は日本経済を未曾有の大不況に陥れるだけの結果となった。
シラク大統領が井上準之助だとは言わない。しかし文化風土や伝統を軽視した教条主義的な政策はなかなか成功しないのである。
(橋本 尚幸)